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2006年6月13日 (火)

僕らはいつも星空を眺めていたⅠ

『僕らはいつも星空を眺めていた』 -裏庭の天体観測所-

チャールズ・レアード・カレア著

北澤和彦訳

ソフトバンク・クリエイティブ出版

Book_1天文誌の書評に紹介されていた本だが、ある書店で見つけたので読んでみた。

自分の星見スタンスそのもので、とても共感した・・・。

いくつか引用してみよう。まずは、1月から3月。

1

数週間後、25年ぶりの望遠鏡が、想像しうる最悪の天候のなかでとどく。多くの新しい望遠鏡は、どうもそういうタイミングでやってくるらしい。

まもなく雲が晴れて、ペルセウス座の二重星団が姿をあらわす。肉眼で見ても、それほど心おどるながめではない。ぼんやりとかすんでいる。もっと正確にいえば、二口のオーブンのようにふたつの斑点が重なっているのだ。肉眼では分離できないが、双眼鏡なら可能である。望遠鏡を使えば、さらによくわかる。ぼんやりした斑点が爆発して二重のきらめく光の流れとなり、散光してたがいにころげまわっている。広角のアイピースであれば、それらの星団はおなじ視野におさまる。星のあいだの闇は暗く、さながらインクを流したかのようだ。

(・・・うーん、まさに!)

2

失われた歳月をとりもどすべく、買えるかぎりの天文機材を買うものだから、クリスマス以来、わが家にはさまざまな製品が押し寄せていた。歳月をとりもどすには金がかかる。私の預金残高は病んでおり、数字はどんどん減るいっぽうで、郵便受けの向こう側でクレジットカードがくすぶっているのがすでに見えている。妻たちはくすぶっているクレジットカードをすぐに嗅ぎつける。

「このアイピースはいくらするの?」と、わたしの妻がきく。

それはコーヒー・マグカップくらいの大きさだ。わたしがびくびくしているあいだ、彼女はため息をつく。

「高そうね」

「まあまあかな」と、わたしはいう。

彼女はうなずく。「あなたがこれを使ってくれることを願うわ」

使うさ・・・。

(何か似たような境遇が。)

3

鎌を横ぎってデネボラのほうへ行くと、ライオンの腹部から後肢にかけて銀河群がいくつかある。ぼんやりした光のしみが、少年フットボールチームのジャージのように瞬いている。メシエ・カタログにのっている、M95、M96、M65銀河である。だが、しし座の私のお気に入りは、レグルスのそばにある。それは銀河ではなく星だ。双眼鏡や望遠鏡でしし座Rを見ると、キャンプファイヤーから急にとびだしてきた赤い燃えさしが、風を受けて輝いたり消えかけたりしているようだ。しし座Rは1年じゅうその光度を変えており、ほの暗くなって消えかけたかと思うと、肉眼でも見えるくらい明るくなり、またもとにもどる。春になると生命の息吹がもどってくるように、そのサイクルは、すべてのものは原点にもどる。星ですら、そうであることを思いださせてくれる。

(・・・まさに、ペルチャーのようだ!!)

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