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2006年6月14日 (水)

僕らはいつも星空を眺めていたⅡ

『僕らはいつも星空を眺めていた』 -裏庭の天体観測所-

チャールズ・レアード・カレア著

北澤和彦訳

ソフトバンク・クリエイティブ出版

ひきつづき引用してみよう。

4月

いま、4月の空には新しい彗星があった。その彗星も明るくて、たやすく見つかった。もう何年も彗星を観測していなかったが、わたしは背筋が興奮でぞくぞくするのを感じた。地球に生を受けたあらゆる子どもとおなじように、すべての彗星ははっきりと識別できる。同じものはひとつもないし、同じ軌道をたどるものもない。彗星はふいに輝いたり薄暗くなったりすることで自由意志を表明するが、それはだれにもわからない気まぐれによるものだ。

この彗星も例外ではなかった。肉眼で見える彗星としてはこの5年で最高のものと予告されていた池谷-張彗星は、輝いていて、はやかった。国際的に知られている日本の彗星ハンター、池谷薫と、中国の張大慶というふたりのアマチュアによって、1ヶ月まえ(2002年2月)に発見された池谷-張彗星は、まさに絶好の被写体だった。

この3ヶ月、わたしは天体写真の初心者のように悪戦苦闘しながら撮影し、やりながら学んでいた。いまこそ解放されるべきときだった。池谷-張彗星がもっとも明るくなってアンドロメダ銀河に接近し、絵のように美しい出会いをはたす数日まえ、わたしは家のそばにある野原にキヤノン・イオスを設置した。まず三脚で数本撮ってみたが・・・これほどみじかい露出時間なら地球の自転はさまたげにならないから、単純そのものだ・・・なかなかよく撮れていた。

成功は人を大胆にすることがある。わたしの場合はそうとう大胆になった。広視野の写真に満足できなかったので、たとえ身のほど知らずであろうと、古典的な望遠写真、天文雑誌のカラーページにのっているような、うすい紗がかかったロマンチックなものを撮ろうと決めたのだ。できあがった写真はすべてぼやけていた。

わたしの彗星は動いたのだろうか?

(中略)

彗星が西に沈むその夜、小熊を見ていると、わたしは自分の問題点に気づいた。望遠鏡を調整してエレクトリカル・ドライヴを地球の自転に合わせるのであれば、望遠鏡の極軸をポラリスではなく、そこから1度弱北東にある天の極に向けなければならない。正確にやらないと、視野が動いてしまう。

問題を解決すればうまくいっていたのかもしれないが、そうはならなかった。望遠鏡をきちんと調整しおわったとき、彗星はカエデの低い木立の向こうに消えていた。時すでに遅かった。その翌週は雨で、写真を撮るチャンスはなく、彗星はいなくなってしまった。太陽の向こうに。池谷-張彗星がまたもどってくるのはわかっている。ただし、わたしが生きているうちではなく、わたしの子孫の時代に・・・わたしは何百年も遅すぎたのだ。

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池谷-張彗星。自分もアンドロメダ銀河(=M31)への接近も目撃することができた。・・・右写真 しかし、彗星の旬はほんのひととき。一期一会の彗星は、チャンスを逃すとほんとうに“何百年も遅かった”ことになってしまう・・・。

まさに共感のかたまりのような一節。

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